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SINZOW interview 2024.11.1

Pop on the borderline, darkness and happiness.

作品を拝見すると、SINZOWさんご自身が主なモチーフとして描かれています。このように自身を作品に投影する表現は、どのように始まったのでしょうか。

SINZOW: 元々、子供時代から絵が得意で、 3歳から親戚のおばが運営する絵の教室に通っていていたのですが、周りから絵が上手いと言われて育ってきたこともあって、幼い頃から将来は絵描きになるイメージはありました。

ただ、当時は、お花を綺麗に描くとか風景を綺麗に描くとか、そういうので賞をもらったりしていたので、「こういうのを描くとみんなが喜んでくれるはず」と、周りが望む絵を描くことばかりを考えていました。

その後、美大に入学したのですが、その頃は、当時、海外、特にニューヨークで流行っていた抽象的なアートに興味が移っていました。そういった抽象画をそれなりに模倣できる器用さもあって、それをやっておけば仕事として成功するんじゃないかと甘く考えていました。でも美大でいろんな過去の作家の生い立ちだったり、作品を描くテーマの選び方だったりを学んでいくうちに、自分はただ手先が器用だったということだけで、自分を表現するものを何ひとつもっていないことに気づいてしまって、はじめて挫折というか打ちのめされてしまったんです。

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その気づきを経て、どのように自分らしさを見つけていったのでしょうか。

SINZOW: 技術的には私にも同じことができる。でもアーティストとして成功している人は皆、自分だけの感情、生き様を作品に投影していました。「私にとって自分自身を表現するということは、自分が一番見たくないものを見ること」なんだと気づいたとき、それが大きな転機になりました。

自分が一番見たくないもの、それは私にとって家族でした。小さい頃から親の関心が私に向いていないんじゃないかと、心の中でいつも不安と孤独を抱えていました。でも絵がうまければ、それで成功したら、自分が大きい賞を取るとか日本で有名になるとか、そうしたら振り向いてくれるかもしれない。私の創作の原点はすべてこの感情だったんです。

作家というのは自分が一番リアルに感じているものを表現していくものだと思うのですが、私にとっての一番のリアルって、そういう家族との関係だったんです。自分が本当は何を感じているのか、ずっと閉ざしていたその蓋を開けていく行為。外に見せている自分ではなくて、本心を描こうと思って描き始めたのが、大学3年生くらいの時でした。

私の思い描いていた楽観的な夢はその頃には跡形もなく、その頃はすごく辛く、悲しいものばかりが溢れ出るような状況でした。でもそれがあって今に繋がっているんですけど、どんなに辛く苦しいことでも、自分を主人公に絵を描くことで、自分の苦しみを客観視できるようになってきたんです。

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*芸術療法(アートセラピー)
アートセラピー(芸術療法)は、心理療法の一種で、アートを通じて心の健康を促進する手法。言葉では表現しきれない感情や思考を視覚的に表現することで、自己理解や感情の解放を図る。1940年代にアメリカとイギリスで発展し、特にユング心理学の影響を受けた。絵画、彫刻、コラージュなど多様なメディアを用い、個人やグループでのセッションを通じて、ストレス軽減や自己認識の向上を目指す。現在では、医療や教育、福祉の現場でも広く活用されている。

自分が一番見たくないものをあえて見つめ直していったわけですね。それはユング心理学における芸術療法(アートセラピー)にも似た行為にも見えます。その行為によってSINZOWさんにどのような変化があったのでしょうか。

SINZOW: 20代の頃は、家族をテーマに描いていました。自分の親や祖父母、リビングで孤独に一人で食事をしているような場面から始まって。若い頃の私は、自分のことを可哀想な生い立ちの悲劇のヒロインだと思い込んでいたんです。

でも、個展を開催するようになって、予想もしなかった出来事が起こり始めました。来場者の方から「私はこんな辛い経験があった」と打ち明けてくれたんです。 まったく意図していませんでしたが、作品を通じてこうしたことが度々あって。

そうしてある時、突然コップの水が一杯になって溢れ出してくるような瞬間が訪れたんです。色んな人の話を聞くたびに、「こんな大変な経験をした人がいるの?」「え、この人も?」という驚きが積み重なっていって。私が羨んでいた周りの人たちも、話し出せば皆それぞれに辛い経験を持っていた。ある日、「もしかして私ってすごく普通の人なんじゃないか」ということに気づかされました。絵を通して人々とコミュニケーションを取ることで、逆に私が治療をしてもらっていたんです。

そこから自然と、両親や兄妹をモチーフに描くことをやめていました。というより、描きたいとも思わなくなっていて。その代わり、新しい感情との出会いが始まったんです。30代を過ぎた頃、初めて見知らぬ赤ちゃんを可愛いと思ったり、犬を可愛いと思ったり。そんな感情を持てるようになるとは思ってもみなかった。

結婚して子供が生まれてからは、また違う変化が起きました。子供を無条件で愛し、愛されるという経験。その喜びもまた描くようになっていって。このように、その時々の自分に起きている本当のことを、素直に描いていけるようになったんです。

スフェラで4年ぶり3回目の個展で、最初の個展からちょうど10年目ですね。最初のタイトルが「全滅するかも優しさで」、2020年が「あなたは選ばれる」、そして今回が「延命」という感じで。タイトルだけ見ても、すごく気になって仕方なかったんですが、これは多分今言っていたその時の気持ちが反映されているのかなと思ったんですけど。

SINZOW:「あなたは選ばれる」は、コロナ禍の時期の展覧会でした。世の中が一気に暗くなり、感染した人が悪魔のような扱いを受けるような恐ろしい時代でした。当時の作品には、UFOキャッチャーのような遊戯施設からモチーフを引用していました。自分自身や家族がUFOキャッチャーで頭を掴まれ、運ばれていくようなシリーズを制作していました。

タイトルの「選ばれる」には二重の意味があります。コロナに感染することも「選ばれる」であり、感染せずに生き残ることも「選ばれる」。見る人の心情によって、どちらの意味にも解釈できるようにしました。 作品自体は、混迷した時代をサバイバルするような、生き残っていくような内容が多かったです。例えば、海から這い上がって岩にしがみつく姿や、鯉のぼりのポールに家族で必死にしがみつき、強風に煽られながら空を泳ぐような絵を描きました。「絶対この手を離さない」という意味を込めて制作しました。

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SINZOW / しんぞう
延命 Life Extension
場所: Sfera Exhibition
会期: 2024.11.2Sat - 2024.11.24Sun
京都市東山区縄手通り新橋上ル西側弁財天町17 スフェラ・ビル 2F

今回の展示で一部作品に施された額装は、スフェラの見立て、デザインにより制作されました。
草木染めを施した材や、無垢の栗材、チェリー材など、それぞれの作品に向けて、多様な材と仕上げを用いて、木工の職人仕事により制作しています。
アートとインテリア空間とを繋ぐ、スフェラならではの個性あるご提案です。
今回は額装を行っていないSINZOW作品の額制作や、ご自身でお持ちのアート作品の額制作のご相談も承っておりますので、どうぞお気軽にご相談ください。

それが今回の「延命」というタイトルとリンクしてきているということですね。

SINZOW: そうですね。若い頃は、何だか絶望していたというか、いつ死んでも構わないと思っていました。自分がうまく家族関係を築けなかったこと、人とのコミュニケーションがうまく取れないことが、おそらく生きづらさに影響していたんだと思います。当時の作品はほとんどがネガティブな感情がモチーフなのですが、自分が逃げている問題に向き合わなければならないという強い思いがあって、それが私をより追い込んでいくようなところがありました。しかし、制作を続けていく中で、描くことの気持ちよさや喜びが自然と現れてくるようになったんです。今はネガティブな要素を含みつつも、そんな自分を受け入れて笑っちゃえる部分もありながら入っていく作品が多いので、今は割と両方の気持ちを持ちながら始めていますね。

また現在の私にとって、夫と子供との関係は非常に大きな意味を持っています。単純なことですけど、自分が本当に生きる力を与えてもらいました。 だから「延命」というのはそういう意味で頑張りたいというか。家族のために頑張るぞみたいな本当に明るい気持ちにさせてくれるので、今回のタイトルには延命装置のような意味が込められています。

以前は「すぐに死んでも構わない」と思っていた私が、今は家族のために頑張りたいという明るい気持ちを持っている。一般的に「延命」という言葉が持つネガティブな意味ではなく、むしろポジティブな意味として、「生きていて良かった」「今この時間を子供と過ごしたい」という願いを込めています。

個人的にSINZOWさんの作品の魅力というのは、グロテスクさとユーモアのバランスです。どの作品にも見る人をちょっと不安にさせるグロテスクさがありながら、それを嘲笑するかのようなバカバカしさが絶妙に抑制し合って、どっちつかずの中立的な世界を作っている。ハッピーなのかハッピーじゃないのか、ポジティブなのかネガティブなのか、見る人をふるいにかける残酷さと、私たちを「そのままにしておかない」辛辣さ。 このバランスは意識されているのか、それとも自然に出てきた表現なのでしょうか。

SINZOW: 自分のことを客観視しているというか、一つの研究対象として自分を選んだというようなところがあると思います。日常生活ではすごく思い詰めてしまったり、考え込んで落ち込みすぎてしまったりとか、普段生活しているとよくあるんですけど、いざ制作しようとなった時に、最近自分がどんなこと考えてたかとか振り返るんです。

ノートとかに日記的な感じで書き留めたりするんですが、その日常でいろんなことをモヤモヤ考えている時はすごくネガティヴなんですけど、文字に起こして書いてみると、どんどんその奥の奥の感情みたいのが出てきて。「この人こんなこと考えてんだ」みたいな感じで、ちょっと俯瞰して笑えてくるところがあるんです。だからこの人は最近50歳になって更年期で、こんなふうに慌てているんだなみたいな部分が見えたり。でもそれを文字とか絵に起こさないと見えなくて。だからその深刻さと、それを笑っている両方の自分が作品の中ででできているんだと思うんですけど。

*ルイーズ・ブルジョワ
(Louise Bourgeois, 1911年12月25日 - 2010年5月31日)
フランス・パリ生まれのアメリカ人アーティスト。彫刻、絵画、版画など多様なメディアを用いて活動し、幼少期のトラウマや家族との複雑な関係を作品に反映。1940年代後半から彫刻に専念し、孤独や恐怖、欲望などのテーマを通じて感情や記憶を探求した。フェミニズムや心理分析の視点からも高く評価され、98歳で亡くなるまで、その影響力は多くのアーティストに及んだ。

ちょうど最近、ルイーズ・ブルジョワの日記やノートからの抜粋、詩的なテキストの晩年の作品群を見ていて同じようなことを感じました。彼女の場合も、家庭問題や親との関係など、深いトラウマが作品の根底にある。それらは非常に赤裸々で不快なものではあるのですが、見れば見るほどその不快さが変化していくんですね。最終的には可愛らしくさえ見えてくる。なんかそれがセラピーの可視化なのかもと思ったり。

SINZOW: 確かに心情の変化という部分では私の場合は意図せず出てしまっているかもしれません。自分が逃げてきた心の問題に正面から向き合うというテーマで取り組んできたので、どうしてもネガティブな感情から作品に入ってく傾向があったのですが、描いているうちに違う展開になっていくんです。自分ではジャズみたいな即興性なんじゃないかと思うところがあるのですが。

実際に絵の具に触れたり、質感とか色とかに触れながらやってる時って、描いているうちにそういう気持ちよさみたいのが出てきて、そっちの量の部分、つまりポジティブな要素が勝手に現れるみたいな感じです。今は昔よりは最初の段階でそのネガティブな要素も減りつつありますが、そんな自分を受け入れて笑っちゃえる部分もありながら入っていく作品が多いので、今は割と両方の気持ちを持ちながら始めていますね。

例えば水着を着た中年太りの疲れたおばさんを描こうと決めても、描いているうちに、その肉付きを描くためにすごく絵の具を盛ろうとか思って。その物質的な気持ち良さに喜びを感じ始めるんです。三段腹を丁寧に描くというより、この絵の具の塊をここに載せた時の気持ちよさの方に感情が振られて、描いてる最中に楽しくなっちゃう。

元々持っていたテーマが悲壮感あるものでも、描いてる間に「あ、なんだこんな色出てきて面白い」という発見があって、その色が導いてくれる方向に身を任せていく。描き始めた時には想像もしなかった色の重なりや、予期せぬ質感との出会いに心が躍って。そうやって絵の具との対話の中から、新しい表現が生まれてくるんです。

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今回の展示では、お子さんのテーマが圧倒的に多いように見受けられます。SINZOWさんのお子さんはタロウくんお一人ですが、モチーフとして2人が描かれている作品がありますよね。

SINZOW:いえ、あれは夫なんです(笑)

私はずっと、お子さんが2人いらっしゃるのかと思っていました。(笑)

SINZOW: あれは子供のような夫を表現しているんです。実際夫を見ていると本当に子供と変わらないというか無邪気というか、そういう子供のような存在として夫を表現しています。見る人にはその区別がわかりにくいかもしれませんね。でも夫もあれが自分のことだとわかっているようです。(笑)

家族を題材とする作品では、実際の親子関係だけでなく、夫婦の関係性も私にとっては同じくらい大切で、一見すると子供2人に見える表現の中に、実は夫婦の関係性が込められているというか。夫が定年を迎えたので、今以上に家族を支えていきたい、そんな自負というか責任感のような感じです。

柱 No.3

「柱 No.3」
acrylic on canvas / 72.7×60.6cm / 2021

作品のモチーフが、特殊な状況や物語ではなく、ありきたりといったら失礼ですが、誰もが理解できるごく日常的なテーマから選ばれているのが印象的ですね。

SINZOW: 私が学生時代、30年前くらいは、抽象画が主流だったんです。大きなキャンバスに抽象的な表現をすることが、当時は最先端の美術とされていて。私もその流れに従わなければと思っていましたが、何を描けばいいのか全然わからなかった。今思えば、当時の自分には表現したい核が何もなかったんですね。

その中で気づいたのは、自分は具体的なものを描く時にしか感情を乗せられないということでした。それと同時に、美術の世界があまりに特殊な領域になりすぎていることへの違和感もありました。音楽なら中学や高校の友達と「このアーティストが好き」と気軽に話せるのに、美術の話になると「勉強していないからわからない」と言われたり。その状況がすごく悲しくて。

だからこそ、私は誰にでもわかるモチーフで、普遍的なテーマを描きたいと思うようになりました。例えば、誰かを好きになる気持ちとか、大切な人を失った時の悲しみとか。そういった普遍的な感情をテーマにすることで、美術をもっと身近に感じてもらえないかって。

最近の作品では、ポップな要素がより意識的に取り入れられているように感じます。

SINZOW: 以前は100年後に見た人にもわかるようにと意識していました。でも最近は、VRゴーグルやNintendo Switchをモチーフに取り入れたり、服にadidasのロゴを描いたり。時代が見えにくくなってきた今、そういうもので人を引きつけて、「この人はいったい何を描きたいのかな?」と、立ち止まっていろいろ思いを巡らせるきっかけになればいいなと思っています。

例えば、一番右の絵(Kid)なんて本当に大したことないんですけど、疲れて横たわる私の上に子供が元気に乗っている絵があるんですけど、あれも一応服を紺と白のボーダーにして、やはり主婦のイメージはボーダーでしょう(笑)

柱 No.3

「Kid」
acrylic on canvas / 72.7×60.6cm / 2021

SINZOWさんにとっては、母親の上に乗る無邪気な子供のたいしたことのない日常の絵でも、私から見ると、死んでいる母親の上にまたがる死神のようにも見えてすごくシュールです。私はこの絵をボーダーといっても"境界線上"という意味で「ボーダーの人」と命名したくなります。 SINZOWさんの作品はどれも、見る人のメンタルヘルスのリトマス試験紙になっているような気がするんです。どっちに見えるのかは見る人次第。

SINZOW: たしかに、これは自分でもおもしろいなと思っているところで。先ほど少し触れましたが、展示をしていると、狂ったように大爆笑する人がいたかと思えば、まったく同じ作品を見て、大泣きする人もいる。「なぜ私のことがわかったんですか?」って話しかけてくる方もいて、自分でもびっくりすることが多いんですよ。それが言葉も文化も違う海外の展示でも同じ反応が起きて。

そういう経験の積み重ねの中で、作品というのは単なる表現の場所ではなく、誰かの心と出会う場所になっていくんだということを実感しました。私が羨んでいた周りの人たちも、誰もが皆それぞれの物語を持っていて。作品がその物語を引き出す入り口になっていく。

だから作品のタイトルも、見る人によって違う意味に受け取れるようにしています。それぞれの人が、自分の中の何かと出会えるような、そんな場所になればいいなと思っています。普遍的な日常の一場面を描きながら、その世界はけっしてひとつじゃない。それが私の見つけた表現の形なのかもしれません。

Text: Sfera / Photo: Sfera